シ ルバーのチェーンに下がる、セラミックの小さな四角いジュエリーにイラストと小さなフレーズ。アーティスト工藤あゆみ氏と、陶磁器作家レティッツィア・ マッジョ氏、ミラノ在ジュエリー作家の栗原章子氏との共作である、現代アート的な感覚のこのジュエリーが、私の目を捉えました。そして、それが、工藤あゆみ氏と出会うきっかけとなりました。
工藤氏の描く、“小さいけれど、一生懸命さを感じる不思議なキャラクター”と、”一筋縄でいかない、でもちょっと笑いを誘うメッセージ“、存在感のある大きな余白、主張しすぎずに深みを与える素材感。
彼女の作品からは、イタリアというよりは、透明感のある日本的な感覚が新鮮で、小さくて繊細な絵からは、強いメッセージ性が感じられます。
そんな彼女の作品との出会いから数ヶ月が経った、2015年3月下旬。トレント市内での2つの個展と、ロヴェレート市での個展という、3箇所同時進行で、お茶の葉を使ったシリーズ、ポラロイド作品、大きなドローイングと、タイプの違う作品を展示するという面白い企画が始まりました。
そして、先週からは、ミラノデザインウィークに併せて、彫刻家: 工藤文隆氏と建築家: 篠崎弘之氏、との合同展がミラノ市内のギャラリー、Harlem roomで開催されています。
ソーシャルカフェとして賑わう、The social stoneに おける展示のオープニングパーティーで、工藤あゆみ氏と、公私において重要なパートナーである夫の工藤文隆氏とお話をする機会がありました。彼女は、作品同様、ふわっとした穏やかな雰囲気と、優しさとユーモアのある素敵な女性で、彼女を支える文隆氏も温厚な人柄と、芯のある力強さを感じる方で、二人で支え 合い、切磋琢磨する素敵なアーティスト夫婦でした。
以下、工藤あゆみ氏のインタビューです。
出身地と、現在の活動拠点を教えて下さい。
岡山県の出身です。2年前からミラノ郊外のリッソーネという町に住んで、制作しています。
それまではフィレンツェとカッラーラに住んでいました。当時は、私も若くて未熟だったり、イタリア独特のシステムに戸惑うことも多く、それぞれの環境も状況も楽ではありませんでした。
今は、イタリア的な厄介事にも少しは慣れてきて、現在住んでいるリッソーネの町も、家も制作環境も、穏やかで安定しています。
これらの場所や現在の環境から、作品にどんな影響が反映されていると思いますか?
場所や環境からも影響を受けるけれど、それよりは、そこで出会う人からの影響の方が大きいです。
どんな?と聞かれるとむずかしいですが、イタリアと日本だと影響の受け方が違います。
イタリアでは、心がいろんな方向にわかりやすく(力強く)揺さぶられます。
日本の場合は、もうちょっとじめっと、心の端からじわじわ中心に向かってなにかしらの影響が染み込んでくるような感じです。
いつ頃、クリエイティブな活動に集中しようと思い始めましたか?初期の様子や、きっかけなどを教えて下さい。
イタリアに来る数年前から、家族や親しい友だちの手紙にそえて小さい絵を描いて、喜んでもらって、それで満足していました。
以下の2つの経験が、今の私の活動へ大きく導いてくれたと思っています。
ひとつは、
その、ちょっとした文と絵をとても喜んでくれて、好きだと言ってくれ続ける人が何人かいたことです。
今お世話になっている、ミラノの画廊の方もその一人です。
最初に主人(工藤文隆氏)の作品を知って、気に入って下さって、画廊で扱ってくれるようになりました。
その頃、私たちはカッラーラ(とフィレンツェ)に住んでいたので、ミラノに来る度に何日もお家に泊まらせて頂いて、いつもお礼に、メッセージに絵を添えた物を残していました。
彼はそれをとても喜んでくれて、そして他の作品も見たいということになり、イタリア初個展につながりました。
そういった、幾つもの素敵な出会いと、応援してくれる家族や知人、楽しみにしてくれてる人がいて、「そうか、これは”作品”で、発表して、みんなに見てもらってもいいんだ。」と、だんだん思うようになりました。
もうひとつは
2010年にカッラーラ美術大学を卒業して、文隆の作品のなにかしらのお手伝いができたら、と思っていた矢先の2011年3月に
震災がおき、カッラーラ在住の日本人が中心になって義援金展が企画されて、それに参加した事です。
子どもたちの笑顔を願う気持ちで、3作品を制作しました。
作品を沢山の人に見てもらう喜び、作品の前で誰かが笑顔になってくれたり、何かを感じてくれる幸せ、そしてお客さまが購入してくれたお金を寄付して、東北の人の為になにもできないと思っていたのに、私でもとても小さなことですが貢献できたこと、すべてに感動しました。
作品を通じて現実の社会と繋がれた事が嬉しかったです。
初期の頃と比べて何が変わりましたか?もう2度と起こしたくないミスや、そこから学んだことはありますか?
線と構図が変わってきていることと、あまり甘くない斜めな作品が増えていると思います。
言葉も含めて、昔のものを見ると無邪気だったなあと思います。昔の作品達も、私にとってはすごく大切な作品たちです。
自分の制作を振り返ってみて…”ミス”は感じないけれど、
何も描けない日でも、自分自身と、白い紙や板と、短い時間でもいいからまっすぐ向き合うべし。と思います。でもなかなか難しいです。
テクニックに関しては身に付いてないことが多すぎるけど、足りないままやってます。
やりながら少しずつ学んでいけばいい、と思っています。
わからないことがあったら、ふみ先生(夫: 工藤文隆氏)に聞きます。13年前にフィレンツェの語学教室と、そこで紹介してもらったデッサン教室で彼と出会いました。
その頃もう既に、彼は日本で勉強していたので、ドローイングがすごく上手で、私の手のデッサンなどのアドバイスをもらったりしていました。
出会ってすぐから、そしてこれからもずっと、全てのことにおいて、彼が先生です。
なんでもよく学んで知っていて(教えすぎるぐらい!)教えてくれます。
あとは、私たちのお世話になっている画廊が、イタリアの1900年代のすばらしいコレクションをたくさん持っているのですが、そこに遊びに行くたびに、何気にたくさんの作品を見ることが出来て、自然に体に染み込んだもの(美的感覚みたいなもの)は少しあると思います。
今では、50−70年代ぐらいのイタリアを中心とした作家が大好きです。
少しかさっとして力強くてかっこよく、そこから滲みでる人間味が感じられる作品に憧れています。
上の質問と被りますが、初期の頃は、そういう意識も知識も全くなかったので、今と初期の作品を比べると、作品自体も変化していると思います。
でも、初期のような作品がもっとみたい!!という方が(特に日本で)多いです。
作品に秘められたフィロソフィーを教えて下さい。
秘めていなくて、あゆみフィロソフィーそのものが作品になってます(笑)。
全ての作品で、どんな状況でもちょっと心が軽くなったり、くすっと笑えたり、希望を含んでいたい、と思っています。
もし、なにか制作環境を心地良いものにしたり、作業が捗ったり、やる気を起こさせる為にしていることがあれば、教えて下さい。
静寂、または自分の好きな音楽、電子辞書、ふみ先生(精神的に、技術的に)
自分の歴史、たくさんの過ちと若気の至り、過去と今(と多分未来も)の、とてもいけてない自分。
文隆の寛大さとやさしさと愛情。 世界中で現実に起こっているニュース。(時々)小説。
心が騒ぎすぎず、落ち込みすぎてもいないニュートラルな時。
スランプの時はどのように乗り切りますか?
スランプというか、時々鬱々した気持ちの波にのまれて溺れて、なされるがままです。
一番、印象に残ってる、または大切な作品を教えて下さい。
2011年の義援金展の時に、つき動かされるように作った、”子どもたちの笑顔のために”の3作品です。
文章のフレーズと絵は どちらから先に制作しますか?
ぼんやりとイメージがあって、言葉もなんとなくあって、絵を描いて、その絵をみて最終的に言葉を書き込みます。
言葉が先に、しっかりとある時もあります。でも、描いてみたら思ったような絵じゃない様になって、最初とはちょっと違うフレーズに、置き換える事もあります。
辞書でたくさん言葉を探すけれど、本当に言いたかった事はなにか、というのが、自分の中でしっかり掴めていれば、直訳とは違うけれど、良いイタリア語の文章ができたりします。
そこから、日本語の言葉ももっとこの気持ちに近い言葉を、と探したり、言い回しを変えたりすることもあります。
言葉の壁はあるけれど、イタリア語と日本語を行ったり来たりしている内に、作品の芯がくっきり見えてくる事もあって、”壁”に感謝することもよくあります。
各国でインターナショナルに活動されていますが、それぞれの国において目立った反応の違いなどはありますか?
イタリアの国境を越えると、言葉の壁がぐんと高くなります。でも、ポラロイドやジュエリー作品など、素材や表現方法でインパクトのあるものが活躍します。
日本での展示は2012年のボローニャ絵本原画展入賞をきっかけに、展示のチャンスをいただいたので、見に来られるお客さまはイラスト好きの方が多く、
ポラロイドの写真やジュエリー作品などは、見慣れていないので少しとまどうようです。
ヨーロッパ(イタリア、オーストリア、ドイツ)では、現代アート系の画廊を中心に発表しています。
シンプルなドローイング以外の作品も、すっと受け入れられて、楽しんでもらえているように感じます。
日本での活動はあまり多くないのですが、両親が”あゆみアート日本支部”と自称して、なにかと支えてくれています。
地元のカフェなど展示場所を見つけてくれたり、なにかの機会に多くの人へ作品を紹介してくれたりしています。2人ともアートとは全然縁のない人達なのですが、色々な人との出会いやお喋りそのものが、2人の元気の素になっているようで嬉しいです。
イタリアで活動するメリットやデメリットなどは?
イタリアでいろいろ学んで、そして活動をはじめたので、私にとってはここがホームです。だから、あまりメリット、デメリットは考えたくないです。
ここでふたりで生きていけるようにがんばる、それだけです。
今後、挑戦してみたいことや、これを読んでいる方に、何かメッセージがあればお願いします。
まずは、優しくて誠実な人間でありたいです。
私の視点で、日常や社会の事や人間を見つめて、感じる事があれば、自分を含む誰かに伝えていきたいです。
短い言葉を添えた絵は、それをつたえる手段のひとつだと思っています。
でも、私の内側にないものを、むりやりにひっぱりだして書いたり、描いたりしたくないです。
思春期の頃にとても苦労したので、その世代の人たちやその世代を支える人たちのために、間接的になにかできることがあったらいいなとは思っています。
当時、ある方に”あなたの今の状態は、空から降ってきた、けっこう大きな石が当たったんだと思えばいい。道にあいていた、深い深い落とし穴に落ちたんだと思ったらいい。たしかに”不運”ではあるけれども、でも絶対に”不幸”ではない。自分のことを不幸だと思ってはいけない”というようなことを言われました。今は、すごくよく解るけれども、当時の私は頭でそれを理解しようとして、逆に苦しかったです。
死んだふりをしてもいいから生きのびる事の大切さ、そんな状況だからこそ光る希望があること、ぜったいにいつか誰かが見つけてくれること。いろいろ。
あの頃のことを、主観的、客観的両方の視点でながめて、言葉と絵で押し付けがましくなく、時にはちょっと楽しくユーモラスに表現することで、少なくとも過去の自分(piccola Ayumi)はなにかしら救われている気がします。ひいては、誰かの心にも少しでも役立てないかな、と思っています。
小さな希望や幸せの種を分けてくれる、工藤あゆみ氏の作品達。どんな種類の種でも、たくさん持ち帰っても構わない。だけど、これらの種をきっかけに、芽を出させるのも、花を咲かせるのも、私達次第です。
小さな幸せの素となる彼女の作品は、現在、岡山県 牛窓町のてれやカフェにて2015年5月8日まで、展示されています。